POPERPOPER

子どもの変化 集団から個人 「らしさ」の喪失

集団から個人へ

塾で生徒と話していると、学校で起きる非行事件について耳にするものです。この話を聞いていると、自分達の時代とは随分変わったものだな、と思うわけです。

 

例えば、生徒が先生を殴るという事件。昔から先生を殴る事件はよく起こったものですが、最近の事件を聞いていると、どこか違う気がするのです。

 

私たちの時代で先生を殴る事件が発生した場合、その生徒は不良集団のリーダーであることが多かったように思います。そして先生を殴る場合には、不良集団としての意志決定がありました。あの先生はやっつけなければならないといったような集団の意志決定を背景に暴力事件が起きていたように思います。ですから、殴られた先生は、かわいそうであるけども、殴る以前に集団の合意形成があるので、不良以外の生徒達も「あの先生は仕方ない」と思われてしまう部分が少なからずあったように思います。

 

一方で、最近の事件では、前触れもなく先生を殴っているような感があります。個人単位で勝手に先生に逆上して先生を殴ると同時に、どこか「俺すごいでしょ」的なところも含む。だから、そこには集団の合意形成もなく、自分一人の勝手な自己顕示欲でしかなく、かなり周りの生徒を白けさせます。「馬鹿じゃないの」「ダサッ」という言葉で片づけられることが多いようです。

 

つまり、これまでの非行の背景には、子ども達なりの大義のようなものがあったわけですが、最近の非行には、個別化した子ども達が自分だけの大義を押し通すだけのものになったように思います。はたから見ると、とにかく不可解な暴力としか言いようが無いもので、これは、昨日起きたAKBへの暴力事件と似ていると思います。自分自身の存在を認めてもらいたいという個人の願望だけが動機となっているので、そこに組織的・人間関係的な動機はありません。だから、「なんで、そんなアホなことするのだろうか」と良識ある大人は思うわけです。

 

このように最近の非行は、暴走族やチーマーといったような集団化の傾向が低く、個人が勝手に「キレる」ことを通じて行われる傾向があるように思います。

 

子どもらしさの喪失

それと、塾の生徒に何時くらいに寝ているの?と聞くと、小学生が深夜0時とか平気で答えることがあります。これも自分が子どものころにはありえなかった事態だと思います。もちろん、昔も深夜まで起きている子どもはいたでしょうが、その割合が高くなっています。

 

また、ネットにいれ込んでいる小学生・中学生が非常に多いです。そして、その生徒達ほとんどがカゲロウデイズにはまっています。カゲロウデイズが子ども達にどのような影響を与えているのかという判断は置いておくとして、とにかく、オタク的な子の割合が多い。そして、そのオタク達の態度や言葉だけを聞いていると、やけに大人びている感覚を覚えます。

 

こんなことで、夜寝る時間が遅かったり、大人びた態度をとったりと、とにかく、子どもらしい生活や態度が最近の子ども達には喪失しているように思います。それが良い・悪いという話ではなくて、そういった事実があるように思えるということです。

 

 

では、こんな子ども達に私たちは何を提供できるか?

では、私たちは、そういった事実を把握して、どのような態度をとるべきなのでしょうか。それは2つあると思います。

 

1つは、こういった社会の流れに沿った教育サービスを提供することです。以前も書いた個別指導なんかは、その最たる例です。その他には、現代ビジネスでも紹介されているように、ITを軸とした学習塾などもそうでしょう。

 

もう1つは、個別化している子ども達に集団化の在り方を教えたり、子どもの内にしか育むことのできない「道徳」のようなものをキッチリと伝えていったりという教育サービスです。

 

いずれにせよ中途半端ではアカンということです。単なる学習塾という認識では、生き残っていけないのではないかと思います。

 

 

 

 

author
About author

お気軽にお問い合わせ下さい

製品の詳しい説明、ご予算に合わせたサービス提供など、何でもお気軽にお問い合わせ下さい

ご担当者のお名前 (必須)

塾のお名前 (必須)

お電話番号 (必須)

メールアドレス (必須)

お問い合わせ内容
デモを試してみたい資料を頂きたいどんなサービスか知りたいその他

上記以外に何かお聞きしたいことがございましたら、ご自由に記載下さい